2度の離婚と再婚を体験している鈴豆です。
- 10代で結婚し、19歳で男の子を出産
- 20歳で離婚し、シングルマザーに
- 36歳で子連れ再婚
- 41歳で離婚 « この記事で紹介するのはこの時点
- 41歳で再々婚
今回は、私の2度目の離婚原因の体験談をお話しようと思います。
わたしたちの離婚の根本的な原因は、嫁姑問題でした。
姑の私に対する憎悪が強くなったことで、次第に夫婦の間がギクシャクし…最終的に離婚を決意することになりました。
姑からして、嫁である私のことは大歓迎ほどではなかったとしても、最初はお互いに上手くやっていこうと努力してきました。
それがなぜ離婚に追い込まれるまで、姑に憎まれてしまったのか…今でも不可解なことが沢山あります。
夫の母親という存在が夫婦関係を壊すなんて、ドラマのような話が現実に起こるのです。
嫁姑問題は永遠のテーマと言われますが、それが離婚にどう影響したのか、私の経験をお話します。
嫁姑問題の原因
2度目の夫の両親は、小さな不動産屋を営んでいました。
夫は父親の後を継ぐつもりだったので、私も再婚と同時に夫の実家を手伝い始めます。
街の小さな不動産屋だったので、私が事務的なことを一手に引き受けると、姑の負担は軽くなりました。
姑は1日1回はお店に顔を出してはいたものの、それまでに比べて「自由な時間を楽しめるようになった」と言い、私を迎えたことを喜んでくれました。
姑の態度が急変。それは意外な理由だった
夫の家族と同居はしませんでしたが、夫の両親と同じ仕事をしていたため、半年もしないうちに、義父母とも親しく会話できるような関係性になりました。
しかし、次第に姑が私を避けるようになったのです。
原因は「孫」のことでした。
再婚した夫にも離婚歴があり、私たちはバツイチ同士の結婚でした。
夫の離婚原因は、浮気(夫側)だったようで、原因を作った夫の方から離婚を申し出たため、離婚調停では不利な結果が出たそうです。
夫の一人娘との面会は、元奥様が拒否できる条件がつけられていたのです。
姑にとって、その娘はたった一人の孫でした。
夫には妹がいますが、30半ばで恋愛経験がほとんどなく、結婚する気配もありません。
ですので、唯一の孫である夫の娘を溺愛していたのでしょう。
それなのに離婚をきっかけに会えなくなり、その寂しさが募る度に、姑の心は荒んでいったようです。
私を避けるようになった理由は、息子が離婚する原因をつくった浮気相手の正体が、なんと「私」ではないかと疑い始めたからでした。
それを義父の口から聞いたとき…私は驚き過ぎて、言葉を失ってしまったほどです。
私が彼と知り合ったのは、彼の離婚後のことなので全くの濡れ衣です。
ですが、姑は面と向かっては問いただしてはくれず、私は釈明する機会も与えられないまま、姑の態度はどんどん冷たくなっていったのです。
孫ができれば姑も変わる、と言われても…
姑が私に対し「夫と前妻の離婚原因をつくった」という疑いをもっていることを知り、私は夫と話し合いました。
私への妙な疑いを晴らしてもらえるよう、夫から両親にきちんと説明してもらったのです。
姑からは、
「疑ってごめんね」
このような謝罪の言葉をもらいましたが、その後も以前のような嫁姑関係を修復することはできませんでした。
孫娘に会えないことが、よほど姑には辛かったのでしょう。
そんなある日、姑から唐突にこう言われました。
「あなたたち、子供をつくる気はないの?」
「早く子供をつくらないと、あなたも高齢出産なんだから!」
姑は会えない孫娘の代わりとなる孫を、私に産んで欲しいと考えるようになったのです。
私は曖昧な笑顔で姑の言葉をかわしました。
しかしその後も、
「子供はまだできないの?」
「不妊検査した方が良いんじゃないの?」
このように頻繁に孫のことを言われるようになってしまったのです。
子供をつくらないと決めていたわけではありませんが、「自然に任せたい」と考えていた私にとって、姑からのプレッシャーは日に日に重く感じるようになってしまったのです。
嫁の味方となり、義父母と絶縁した夫
姑との関係が悪化してからも、私は夫の実家の仕事を続けていました。
ですが、姑の態度や言葉によって私の心は徐々に疲れてしまい、ついにはうつ病の診断を受け、仕事に行けなくなってしまいました。

私がうつ病になったことをきっかけに、夫は「母親と離れることが一番」の解決策だと決心しました。
夫は、実家の仕事を辞め、両親との縁を切る覚悟で新しい仕事に就いてくれたのです。
おかげで私たち夫婦は、それから平穏な日々を過ごすことができました。
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嫁の味方をしない旦那
幸せな日々が壊れはじめたのは、夫が腰痛の手術のために入院したことがきっかけでした。
当時の私は、うつ病も回復し会社員として仕事をしていたので、いつも仕事帰りの夜20時頃、入院中の夫の病室を訪れていました。
その日も、夫の病室に向かおうとナースセンターの前を通り過ぎました。
そのときです。
1人の看護師から「お母さんから差し入れをいただいたの」とお礼を告げられたのです。
私は夫の入院に関して、命にかかわる手術でもないから…と、義父母には知らせていませんでした。
夫が自ら、義父母に連絡をとっていたのです。
そして、夫は「やっぱり親との縁は切れないよ」と…。
両親との縁が切れないのは私も理解できますし、私は絶縁して欲しいと望んだわけではありませんので、義父母を夫が連絡をとったことを責めるつもりはありません。
ですが、夫にそれを隠されていたことは、とてもショックでした。
夫が退院してから、彼の態度が以前とは違い急によそよそしくなったと感じ始めたのは、私の錯覚ではなかったようです。
帰ってこなくなった夫
夫が退院し、リハビリ期間を経て仕事に復帰してから、2週間ほどたったある日のことです。
夫からの帰宅メールが届く時間です。
いつものように「お疲れ様」と返信しようと画面をみると、
「しばらく実家から仕事に通うので、帰りません」
こんな短いメッセージが目に飛び込んできました。
その後、電話をかけてもつながらない、メールを送っても返信が来ない状態が続きました。
そして3日ほど経ったある日、姑から電話があったのです。
「離婚届を郵送しましたから、署名・押印して返送してください」
一方的に言われたのです。
話し合う機会が必要だと訴えましたが、結局それは叶いませんでした。
その後、義父が来て、夫からの手紙を渡されました。
「親と絶縁している間、自分にとって母親はかけがえのない人であることを痛感した。その母親が離婚を望んでいるのだから、その望みを叶えてあげたい」
このように書いてあったのです。
義父はその時、こうも漏らしました。
「孫さえ産めば、こんなことにならなかったのにな」
夫は、これまで親の庇護のもとで暮らしてきたため「親から自立したことが想像以上に辛かった」というのも、離婚理由としてあったようです。
私と過ごしていた間、親元にいるときより夫が自由に使えるお小遣いは減っていたため、姑から隠れてお小遣いも貰っていたそうです。
夫の心は少しずつ「実家の両親に守られていた頃に戻りたい」と思うようになってしまったのでしょう。
夫の一方的な家出から始まった別居
夫が一方的に家を出てしまい、生活費も入れない状態が3ヵ月過ぎたところで、私は家庭裁判所に「婚姻費用の分担義務」を求める申し立てをしました。
例え別居中でも、夫婦はお互い同等の生活水準で暮らせるように、お互いが支え合う義務が法律で定められているのです。
私の方が夫より収入が少なかったため、夫は私の生活費の一部を払う義務があるわけですね。
その申し立ての結果、毎月10万円の生活費の送金を夫に約束させ、私は離婚を視野に入れながら、別居期間をできるだけ引き延ばそうと考えていました。

異常な親子関係から逃れるため離婚を決意
夫との別居中に、一度だけ復縁を考えたことがあります。
それは、夫から突然連絡が入り「会って話したい」と言われたときです。
夫から離婚について切り出されることを覚悟して会ったのですが、
「一緒に遠いところへ行ってやり直したい」
意外なことに、夫は私にこんな申し出をしました。
一瞬、私の心は揺れました。
夫に対する愛情が、全て消えていたわけではなかったからです。
しかし夫はなぜそんなことを言い出したのか、ゆっくりと理由を聞き出すと、
「母親と喧嘩して、実家に帰りたくなくなったから…」
当然、一瞬で復縁なんて考えは消えます。
まるで小さな子供が親に叱られたみたいにしょんぼりして、深夜まで帰ろうとしない夫をみて、私の中で何かが弾けたのがわかりました。
わずかに残っていた夫への愛情も、きれいサッパリ消えたのです。
異常な親子関係
それとほぼ同時に、夫の実家から私の携帯に怒涛の着信が続きます。
無視し続けても、何度も何度も着信が続き、恐怖すら感じました。
この場から早く逃れたいという一心で、私は夫を実家に帰るよう説得して帰宅しました。
そこでみたのは、私の家のドアの前に立っている姑の姿です。
身の危険を感じた私は、その場から逃げ出してしまいました。
「このまま離婚せず、夫に生活費を払わせながらできるだけ別居を引き延ばして、独身生活を楽しもう」
私の心のなかにそんな甘い考えが少しあったのですが、そんな考えも一瞬で吹き飛びました。
「この親子と縁を切らなければ、私は呪われるかもしれない」
本気でそう考えてしまうほどの恐怖を感じたのです。
そして離婚調停をこちらから申し立てし、夫との離婚は成立しました。
夫が家を出てから、9か月後のことでした。
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離婚した数日後に新しい恋がはじまる
私の2度目の離婚は、この記事で紹介した通り「嫁姑問題」が原因でした。
本人同士がどれほど相性が良くても「また結婚に失敗してしまった…」こんな傷が残りました。
ですから、私はもう二度と結婚するつもりはなかったのです。
なのに、性懲りもなく3度目の結婚をしました。

2度目の離婚をしてから1年も経たない間に再々婚できたのは、夫の家出・別居・離婚という試練で、弱っていた私を励まし続けてくれた知人と恋に落ちたからです。
未来にどんなことが待ち構えているのか…、人生って本当にわからないものですよね。
「不幸になりたくない」という気持ち以上に、「幸せになりたい」という気持ちを強くもっていたことが、3度目の結婚を引き寄せたのだと思っています。
結婚は当人同士だけの問題ではない、よく聞くセリフですよね。
しかし姑問題で離婚まで考える女性の気持ちとしては、
「夫が妻の味方さえしてくれていたら、乗り越えられるのに…」
こんなふうに思っていることでしょう。
結局、姑問題のキーマンは、やはり「夫」なのかもしれませんね。